バイオリン製作と冒険
第119回 岩井 孝夫(2016.05.20)
随分昔の話です。
私が20代の時、テントと自転車を担いで飛行機の片道切符を握りしめ、イタリアのクレモナにバイオリン製作を学びに行きました。誰の紹介もつてもなく、ミラノマルペンサ空港からミラノ中央駅に着いてそこの観光案内所でクレモナの町の所在地を訪ねたくらいの情報量しか持っていませんでした。クレモナの町についてからは中央警察署でバイオリン製作学校の事務局の場所を尋ね、すべてが始まりました。
あの日から30数年がたちました。
当時、私は常に小型簡易テントを携帯していたので、宿代がなくなれば野宿ができると開き直りの心強い思いがありました。不安よりもこれからの自分の夢を叶える未来への期待感のほうが強かったように思います。これは本人が楽しいのだから冒険とも言えます。
今は、自分の仕事として毎日楽器を作っています。
この自分の作ったものが売れた時、収入がありそのことにより私の生活は成り立っています。それゆえ、この楽器が鳴るか鳴らないかは私にとってとても重要なことです。バイオリンの構造上どんな名工でも凡人でもバイオリンの板厚は1mmから2mmくらいしか変わりません。板の重量も20g以上違うことはありません。この小さな違いによって楽器が鳴ったり鳴らなかったりするのです。ちょっとでも良く鳴る楽器を作るには常に何かの工夫改良が必要とされます。この自分の生活がかかったうえでの楽器製作はまさしく小さいけれど大きな冒険です。
私の冒険はまだ続いています。
次回は6月5日更新予定です。