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開かずの扉

第84回 永石 ‎勇人(2014.11.20)

イタリアでは今でも街の中心に煉瓦造りの家が建ち並びます。そう、街の中心街そのものが遺跡になりつつあります。多くの建造物ではベースはそのままに、一部壁が崩され新たに築かれたり、天井は埋められたり壁も幾度となく塗り直されているのがごく普通です。家の間取り、見取り図は変更があるともちろん役所に提出するのですが20世紀まではかなりラフにそして頻繁に家を切ったり加えたり上げたり下げたりを繰り返していたそうです。

街の幹線道路を掘り起こすと古代の道が出てきてしまうので工事はストップ、埋め直すこともざらなようです。事実クレモナも最近では町の公共工事で地下駐車場を建設の際、ローマ遺跡が出てきてしまったので完成期限が大幅に遅れたのもクレモナ人の記憶に新しいのではないでしょうか。また数年前に友人がストラディヴァリの家の一角を修復していたところ白塗り壁のしたから19世紀後半のフレスコ画が出てきたそうです。驚きももちろんですが扱いに困っていると話していました。

古い建物に住むということは多くの難も持ち合わせていて。工房として借り始めた家も”嬉しきかな”その一角です。大家さんに提供された”家”を今までは使っていたのですが、スペースを拡張したいと話したところ小さな空間ではありますが提供していただける事になりました。ここは齢80になる大家さんの姑さんの時代から使っていないというスペース。階段の脇にある古びた小さな扉はただただ興味をそそるだけのものでした。鍵をうけとり実際に入ってみると現実的な問題がみえてきます。それは修繕をしないととても使えないということ・・・その日より3週間かけて使用する一部をクリーンアップ。先日ようやく人がいられる空間になりました。

この中二階の空間こそまさに歴史を刻んでいるイタリアの建物で、元々は貴族の邸宅の回廊があったようにみられます。19世紀の大幅な改造により邸宅自体は分断され今では10近い母屋、50件を超えるアパートに分かれています。その回廊の上部(2階部分)に位置するのがいまの工房ですが繰り返される増築のなかで5m以上ある地上階が2層になり今の中2階ができあがった模様で、そのもともとあった邸宅の2階部分とこの中2階を階段でつなげた物件があらたに工房となりました。

この中二階部に見られる梁、中二階が出来た時にしかれたコットと呼ばれる床はその時代の様子をありのままにみせてくれます。天井は本来ニスがなくメド目とフレスコによる色が塗られていたような雰囲気です。イオニア式の渦巻きを模したバロックならではの梁受けは建物の中にいくつも見られ、当初はフレスコと金箔で装飾されていた後が見られます。

主要な梁は贅沢にも一本のオーク材が使われていてその隙間を松材を使った箱づくりの天井で上階の基礎を支えています。コットも40年以上手が入っていないため簡単な掃除と溝を埋める作業を3日続け、ようやくホコリも舞わなくなってきました。

これでようやく肝心の楽器制作が始められそうです。本当の意味で”文化を守る”体験をできたこの一ヶ月、あるイタリアの一つの側面を十二分に堪能できました。ネットや聞いた話し、旅行にはない文化と歴史にふれる瞬間、この国には溢れているようです。

19世紀の大改造時にメインの母屋はネオ・クラッシック調の内装をほどこされ、現在でもパラッツォ・カッターネオとなり会議、コンサート、パーティー会場として町の人に愛され続けています。

次回は12月5日更新予定です。