世界に広がるMade In Japan
イタリアから日本に帰国する際、イタリア人の製作家からよく日本の道具を買ってくるよう頼まれます。
それはそれは、よく知っているなとこちらが感心するほど多種多様なものでそれほどMade in Japanがモノづくりの現場にまで浸透している証拠だと嬉しくなる反面、帰りの荷物の重さを想像して、承諾の笑顔も引きつり気味になってしまいます。。。
そんな頼まれ事の中でも、ダントツに多いのが「膠(ニカワ)」です。日本の膠が欲しいというのです。したり顔で「ニカゥ~ワ」と妙なアクセントで頑張って日本語で言う人までいます。かくもイタリアでは「日本の膠」が重宝されているのです。しかしながら日本人である僕が、日本の膠は何が違うのかよく知りませんでした。これではいけないと一念発起したこの夏、日本の膠を研究製造しているところに伺ったり、いろいろな資料をあったてみることにしました。するとそこには、想像もつかなかった長い歴史と文化が広がっていたのです。
日本古来の膠
膠とは動物の骨や皮などから採られた粗製のゼラチンで、これを食用に精製した物がゼリーになります。膠は世界最古の接着剤とも言われ、5000年以上前から接着剤として使われており、古代エジプトの壁画には「膠」の製造工程も描かれています。用途はとても広く、木材の接着はもちろんのこと、絵画や壁画、製本にマッチ、武具の弓にまで使われています。バイオリン製作においては、基本的に全ての接着が膠で行われており、膠の特徴である、木材に対して極めて強力な接着力を示す一方、熱や水分によって結合がゆるみ容易に剥離できることから、修理調整を容易にし、バイオリンの寿命の長さの秘訣にもなっています。
ちょうどストラディバリの時代、1700年頃からヨーロッパ全土で膠の量産化が進みます。それまで職人が必要に応じてそれぞれ作っていたものが、市販されるようにもなりました。しかし量産といっても、当時の様子を克明に記録するディドロの「L’Encyclopedie」(1751年)を見る限り、あくまで基本製法は5000年前とほぼ同じようです。もしかするとストラディバリもこの当時の「市販の膠」を用いていたのかもしれません。
ではなぜイタリアで「日本の膠」が素晴らしいと言われるのでしょうか。それには膠の製造法を見る必要があります。現在、日本の伝統技術のまま作られる膠を「和膠」、西洋の近代膠を「洋膠」と呼びます。この「洋膠」は日本には明治初期に入って来ました。わざわざ「洋膠」と区別して呼んだのは製造法から原料まで、大きな違いがあるためです。ここで特筆すべきは原料の加工なのですが、「洋膠」には”クロムなめし革”を主に用いています。”クロムなめし革”は革製品を作るために、化学物質であるクロムで革に柔軟性や耐久性を持たせたものですが、この革を革製品として加工した後の、あまりや屑を石灰と硫酸で二次加工した原料から作られるのが「洋膠」です。
これをストラディバリも使っていたのでしょうか。どうやら違うようです。革の加工技術の歴史を精査してみると、1858年に”クロムなめし技術”が発明されており、さらに遡っても1760年代にようやく”タンニンなめし技術”がヨーロッパに入ってきます。つまり、ストラディバリが使っていた「当時の膠」は現在の「洋膠」ではないのです。
おそろらく日本の伝統的な「和膠」と同じ手法・原料の膠だと思われます。それは冬の時期に、動物一頭分の皮を水に浸け込み、バクテリアが分解して体毛や脂肪が柔らかくなったら、手作業ですべてを削ぎとり、天日で乾燥させます。それを”加工せず”にそのまま、長い時間をかけて煮詰めて膠を抽出していきます。こうする事によってほどよくカリウムやナトリウム、リンなど水分と親和性の高い成分が残り、余計な化学物質が残留することもありません。
鹿皮膠の抽出。無添加なので味見させてもらいました。おでんの牛すじの味がします。鹿なんですけどね!
ただこの方法では、原材料の調達や、抽出するのにもどうしても時間がかかってしまいます。しかもここまでやって、牛一頭から3キロしか取れません・・・。よって世界的に「洋膠」の製法が主流となっていきます。日本の膠も例外ではありませんでした。明治以降、殆どの膠メーカーが石灰を使った脱脂や、洋膠の抽出法が主流となって行きました。しかしその一方、姫路などに残る伝統的な革産業(白鞣し革)や、特定地域の小規模膠メーカーのお陰で、伝統技術が生き残ることが出来たのです。そして現在では、日本の文化財修復に携わる方々が、日本古来の膠を使わなければいけないと、もう一度本来の「和膠」の積極的な製造・使用も始まっています。イタリアで手に入る膠は、製造方法や原材料が不明なものが多くゼリー強度なども不明です。成分解析でクロムが残留していた物もあり、それが信頼の置ける日本の「和膠」へと、イタリアのバイオリン製作家を向かわせているのだと思います。
グローバル化が進み、最先端のMade in Japanが世界中に広まって久しいですが、日本の伝統技術が、イタリアの伝統技術と出会い評価される。良いものをきちんと見極めて、非効率だろうが品質のためなら労力を惜しまない職人がいる限り、伝統技術も失われるどころか、逆に世界に広がって行き、生き残っていける時代になったのだと感じました。
日本帰国の度に、荷物が増える一方ではありますが。
参考資料:天野山文化遺産研究所
次回は9月20日更新予定です。