クレモナの霧
ヴァイオリン製作について書かれている書籍には、イタリアのクレモナでヴァイオリン製作が盛んになった理由として、よく「イタリアは年間を通じて温暖で湿気が少なく、楽器製作に適しているからだ」と書かれてあります。
私も13年前(2000年)にイタリアに渡る前は、そういう文献を読みながら、地中海性気候と呼ばれるイタリアの、暖かくてカラッとした空気を想像してヴァイオリン製作のメッカ、クレモナという街を思い浮かべていました。
霧のクレモナ
実際イタリアで生活するようになって、夏は日本のように暑いですが湿気がすくなく、石造りの建物の助けもあってカラッとしていて涼しく感じます。
しかし、渡伊1年目の冬が訪れてびっくりしました。時には氷点下まで下がる温度の上、湿度が異常に高く、濃霧の日々が続きます。10メートル離れると人の識別もできないほどです。雲のない日中であっても、濃い霧のためにどんよりと曇ったような日々が続く冬です。(写真参照)
書籍に書かれてある温暖で湿気がすくない気候、いわば地中海性気候と呼ばれるイタリアっぽい天気は、地中海に面したイタリア中部・南部のイメージであって、イタリア北部にあるクレモナは、全く異なるドイツなどの内陸性気候に近いようです。
クレモナはミラノなどを含む広大なロンバルディア平原のど真ん中にあり、すぐ横をポー川が流れているため、霧を生む要因がそろっているようです。
ここ数年、霧は少なくなってきたように感じますが(私が慣れてきたせい?)、10年前は前述したような濃霧だったですし、先輩の話を聞くと、20年前は1mも離れたらすべて真っ白になるような濃霧だったようです。
霧のクレモナ
では、なぜこのような楽器製作に悪条件の気象の地クレモナで、1700年前後に楽器製作が盛んだったのでしょうか? 私が思うに、気象条件以外は、文化的条件や地理的条件が恵まれていたと思います。作曲家モンテベルディがクレモナで生誕したなど、音楽文化も盛んだったこと、ポー川の水上交通・流通で、楽器製作に必要な材料や物資が手に入れられたこと。そして一番大きな要因は、クレモナの開祖とも呼ばれるアンドレア・アマティがクレモナで工房を開いて、それに続くアマティ一族が流派を形成していったことが重要だと思います。
気候以外の条件がそろっていても、気候の悪条件は残ってしまいます。ストラディヴァリが活躍していた17世紀前後は、ヨーロッパの気候は寒冷化の苦難の時代に入り、現在小氷河期と呼ばれる、史上最低最悪の気候でした。気温は寒く、霧の濃さも現在の比ではなかったと想像されます。
実際の楽器製作作業上での問題としては、気温が低いとまず接着剤としての膠(にかわ)の作業が非常に難しくなります。膠は天然動物性接着剤で、楽器製作としては過去はもちろん現在も楽器製作の基本的な接着剤です。使用時に湯煎(ゆせん)で温めて水に溶かした状態で使用します。しかし、接着した部分が急激に冷えてしまうと、膠液がゼリー状になり、うまく接着できません。 解決策としては暖房で部屋を温めるか、接着する木材をあらかじめ温めておくかですが、真冬に膠接着作業を十分に行える理想的な温度(25℃)まで部屋を温めるのは、燃料代も大変です。
ニス塗り作業も温度や湿度に大変影響される作業です。そして、一時的にしろ湿気を吸った木と乾いた木では、組んだあとでは特性が変わってきてしまいます。
霧の日
晴れた日の同じ場所
それでは、ストラディヴァリやその他のクレモナ黄金時代の巨匠たちは、それらの気候的悪条件の中で、どうしてすばらしい楽器を作ることができたのでしょうか?長期にわたる冬の寒さと湿気は、彼らにとって余り問題ではなかったのでしょうか?障害とならないような作業工程を組んでいたのでしょうか? ニス塗りは夏季だけ行えるとしても、接着作業は木工作業の中で頻繁に行われるため、期間限定は難しいです。
または、湿気対策になるような処理をしていたのかもしれません。
このようなことは想像にしかすぎませんが、皆さんはどう思われますか?当時のことを考え、いろいろ想像してみるのも楽しいかもしれませんね。
まだ私の中で結論は出ていないのですが、こんなことに思いをめぐらせ、クレモナの長く続く暗くて厳しい冬を毎年乗り切っております。
次回は6月5日更新予定です。