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職人の勘を育てる無駄な遊び

第308回 伊藤 丈晃 (2025.1.05)

現代は誰しもが忙しく、「無駄なことに時間を使うなんて」という声が聞こえてきそうな世の中です。
しかし、職人にとって「無駄」とは単なる非生産的な時間ではなく、自分の感覚や技術を磨き上げるための重要なプロセスである場合があるなと感じています。 僕が日々の製作活動と並行して実践している「無駄な遊び」(?)が、実は職人の勘を育てる土壌となっていることに気づいたエピソードを共有してみたいと思います。

 

職人の勘はどこから生まれるのか
ヴァイオリン製作における「職人の勘」とは、木材の特性を見極める力、音響の微妙な違いを感じ取る力、そして楽器を弾いてくださる方々の求める音を形にする力です。
これらは一朝一夕で身につくものではなく、長年の経験と探求心が積み重なった結果として形作られていくものではないかと思います。

しかし、その基礎を形作るのは、意外にも「目的のない遊び」から得た感覚的な学びであることの方が多いというのが、僕の実感です。

 
 
無駄な遊びの具体例
 
その1. 
自分のために設計図のない楽器を作ってみる
 

製作で余った木片など使って、即興的に設計図の無い楽器を作ってみることがあります。何の用途もない楽器は、ただ木目の美しさや質感を楽しむためだけのパズルのようなものかも知れません。ただ、これらを通して木材の反応や加工の感覚を深めていくことは可能かも知れません。

 
 


弦の音楽的な響きの聴き比べができるように作ったモノコード(デュオコード)


もともとアイヌの人たちは、自分で弾くトンコリは自分で作るのが慣習だったという話を読んで、それは素晴らしいなと思って作り始めたトンコリ

 


コンタクトマイクを使った1弦ドローン・ヴァイオリン

 
 
 

その2.
いっさい数値に当てはめず(数値還元・分析せず)、そのまま体で浴びる音
(イメージの中で鳴る音をこねる)

 

いわゆる音響実験(スイープ音などを入力してFFTアナライザーで板の特性を測定など)ではなく、自分が何百回と聴いてきたCDなどの音楽を木のキャラクターを通して聴く遊びを自分用に考案しました。

 

何百回と耳にタコができるほど聴いた音楽は、ある意味で曲の隅から隅まで知り尽くしている音楽であります。そういう音楽はいつも聴いている音とちょっとでも違う箇所があるだけで「アレ?」と一瞬で気がつくものです。この性質を利用して<木の音を解ろうというの営みであります。

 
振動スピーカーを製作中の楽器に設置するためのアタッチメントを作成しました。
 

楽器が完成するまで各工程の音をとりあえず聴き比べていきました(結構めんどくさいので、忍耐力のいる遊びです)
 
木材を媒介して音楽を聴くと何が解るのかといいますと、いささか抽象的にはなりますが以下のような感じです。
 
(表板+横板) – 表板 = 横板
 

①表板の音を聴き記憶に残す。
②(表板+横板)の音を聴き記憶に残す。 ③頭の中(想像力・イメージ)で①と②の差分が何か数値ではなくイメージで)割り出す。 ④横板がどんな音を持っているのか想像できる力が身につく(仮説)。

 

何とかしてイメージを共有したいので、次のような状況を想像してみていただけますでしょうか。

 

例えば、いつも一緒にいる親友の声は誰しもよく覚えているものだと思います。 プールの中に同時に潜って、水中で「おーい!」なんて叫んで遊んだことなどありませんでしょうか。 その水中で聴いた親友の声と、普段の生活の中で聴くその親友の声は同じではありませんよね。

 

水中で聴いた親友の声 – 普段の生活の中で聴く友人の声 = 水中の特徴のある響き

 

この場合、いつも聴いている親友の声に対する変化を聞くことによって、音を媒介している水の特性を何となく頭の中で割り出すイメージでしょうか。

 

他にも、音叉を使って楽器や弓を無造作に振動させてみたり、木片を弾いて音を聞いたり机の上に落下させてその音に耳をかたむけてみるなどでも、音の共鳴や材質の違いに対する感度を高めるトレーニングにはなるのかもと感じています。

 


振動スピーカーを使った音楽再生を実際に聴いてみると、バスバーがつく前と後の変化は非常大きく、大変興味深い体験となりました。


半分冗談で、振動スピーカーにヴァイオリンの駒の足だけをつけてみた。バタバタ足踏みしたら面白いな的な・・・これぞ無駄の極み、戯れ。


やってはみたものの、これといった収穫がないことも多いです(汗)めげてはなりません。

 

その3.
異素材との対話
も案外重要だと感じていて、ヴァイオリン製作とは直接関係のない素材、例えば、真鍮やガラスや革を加工してみることで、新しいアイデアが湧くこともあります。異なる素材を扱うことで、ヴァイオリン用の木材の特性をより深く(相対的に)理解できるようになる気がします。

 
 

その4.
ライヴやコンサートの音響や録音
をしてみると、広い空間の空気容量にどれくらい音圧をかけるとボワンボワン響いてしまうのとか、聴く側の方々にいかにして心地よい 音を届けるかを考えるヒントがたくさんあることに気がつきました。空間がどのように音に作用しているのかを実際に体感することができるのが非常にエキサイティングです。

 
 
 
 
無駄な遊びがもたらす意外な効果
 

これらの「無駄な遊び」は、なかなか直接的にはヴァイオリン製作に(ましてお金には)結びつきませんが、自分の感覚(五感・六感)を研ぎ澄まし、職人としての基盤を強化してくれている気がします。また、遊びの中で得た気づきが、製作過程で新たな工夫やアプローチに繋がることも(たまにですが)あります。

 

さらに言えば、「遊び心」は、仕事そのものへの情熱や創造性と無関係ではないように思います。ヴァイオリン製作はそれなりに細くで集中力を要する作業も多いですが、その合間に無駄(この間もアボガトの種を発芽させて独り喜んでいました!)を楽しむことで、心の余裕が生まれ、より良い仕事ができるようになります・・・たぶん。そう思い込むようにいつも自分に言い聞かせております。

 

「遊び」は無駄かも知れませんが、職人の仕事にとって決して無意味ではありません。それはむしろ、感覚を育て、視野を広げ、創造性を引き出す時間としては大変重要ではないかと思います。<効率を重視する現代だからこそ、あえて「無駄」を楽しむことの価値に目を向けてみるのも良いのかと思います。試しに皆さんも「無駄な遊び」にとことん熱中してみてはいかがでしょうか。役に立たないこと万歳であります!