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“ミラン” - ストラディヴァリのヴァイオリンケース

第305回 小寺 秀明 (2024.11.20)

クレモナの巨匠アントニオ・ストラディヴァリ(1644?-1737)が残した名器は皆様よくご存知と思いますが、ストラディヴァリの工房ではその楽器を顧客に提出する際の楽器ケースも製作されていました。

ストラディヴァリが生まれる100年以上前からヴァイオリン製作はクレモナで行われていましたが、それらの年代のヴァイオリンケースは多くが簡易的なものであったか(革製の袋のようなもの)もしくは1630年から大流行するペスト菌対策で運搬を目的とするケースを廃棄するような考えがあった可能性が示唆されており、確認できる最も古いヴァイオリンケースがストラディヴァリ工房のヴァイオリンケースとされています。これらの研究は近年、楽器ケース職人によるディミトリ・ムサフィア氏と歴史家のグレン・ウッド氏を中心に進められました。

当時の楽器ケースは時代の経過と共に施された様々な修理により製作者を特定することが非常に難しく、現在ごく僅かなヴァイオリンケースが確信的にストラディヴァリの工房で作られたものと断定されています。

アントニオ・ストラディヴァリ本人が楽器ケースをその手で全て作っていたのかは定かではありませんが、アントニオ・ストラディヴァリの死後、1775年に息子の1人パオロ・ストラディヴァリが若き楽器コレクターであるサラブエ侯コツィオ伯爵に工房内の道具や様々なモデルを売却した際、楽器ケース製作における70を超える留め金や錠前の手書きのデザインや厚紙のモデルなどが残っていた事から少なくとも楽器ケースのデザイン開発段階には関与していたものとされています。本格的なケース製作は工房主の指導の下、工房内で息子弟子が中心になり行なわれていたと想像できますが、革の装飾など特定の専門性の高い業務は外注であった可能性も否定できません。

ストラディヴァリ工房では大きく分けて2種類のヴァイオリンケースが製作されていました。ケースの下部が開閉するタイプと現代主流の上蓋が開閉するタイプです。

その下部開閉タイプのケースの1つがクレモナのヴァイオリン博物館に展示されている”ミラン”と名付けられたヴァイオリンケースです。

このケースは非常に保存状態が良く、2015年夏にミラノの個人所有のコレクションから発見され、2016年の調査で台湾の奇美(チーメイ)博物館に展示されているストラディヴァリ工房のヴァイオリンケース”Chi Mei”(推定1670-1690年ごろ製作)と、その作りや寸法が非常に似ている事から特定に至りました。

このヴァイオリンケースはケースの下部分が拳銃を入れるホルスターの様に開閉できる作りになっています。ケースを手で持つための取っ手はなく、上下に長い紐をくくり付けるための金具が付けられています。(上部分は現在残っていません)

楽器を保護する観点から考えると、このホルスタータイプはケースの真下からヴァイオリンをスライドして入れる為、ヴァイオリンのスクロールの背中部分や裏板をケースの底部分に擦りながら出し入れする事が大きな問題として挙げられます。その為古いヴァイオリンのスクロールの背中部分が大きく摩耗しているのはこのホルスタータイプのケースで長年保管されていた可能性が考えられます。

そして弓を入れるスペースが無かった為に、空いたスペースに無造作に弓を入れなければならなかったことも重大な問題点でした。

一般的にこのホルスタータイプのケースにはヴァイオリンを少なくとも布のカバーで覆ってからケースに入れる事が必然と想像できますが、それなしでは更に傷みやすい状態で保管される事になったでしょう

その後時は進み、バロックヴァイオリンは弦圧を上げる為にネックの長さや角度が上げられ、モダンヴァイオリンへと変貌(改造)を遂げると、駒の高さも高くなり、バロックヴァイオリンケースが丁度入るように製作された”ミラン”にはモダンヴァイオリンを入れる為のケース内部の高さが足りなくなってしまいました。

そのため後にモダンヴァイオリンも入れられるように丸鑿で”ミラン”の内側の駒周辺部分が彫られた跡が残っているのも、ヴァイオリンケースとしての限界を物語っています。

後にホルスタータイプのケースにも弓の収納スペースが設けられ、モダンヴァイオリンでも入れやすいように改良されたケースが開発された様ですが、ホルスタータイプのヴァイオリンケースの製造は終焉を迎えました

しかし、このヴァイオリンケース”ミラン”は、その作りも非常に強固で興味深いものとなっています。

ケースの木材は厚さ約13㎜のヴァイオリンの表板と同じスプルースです。X線での観測によると、ケース内部の木材の開閉部分と本体部分の縦方向の年輪の一致が確認された事から開閉部分は別に作られたものではなく、まず横板部分と上下板部分を膠と釘で完全に閉じ、密閉された箱を作ってから、その後にケースの開閉部分の役割を担う部分をノコギリで切断されたようです。

輪郭を決める横板部分ですが、ストラディヴァリ工房のヴァイオリンケースはデザインにも妥協しないこだわりがあり、開閉する部分が丸くなっています。このカーブされた輪郭は木材を曲げて丸くしたのではなく、沢山の木材を接着して繋げたカーブの様です。そしてそのカーブしている部分も含めて全ての木材の配列が、木口をケースの外側に向けない様にされています。これはケースの外からの圧力による耐久性を高める為です。フランスなどでもこのホルスタータイプのヴァイオリンケースが作られていた様ですが、その下部分の輪郭は簡潔に加工するため四角になっています。

一手間かけて下を丸くする事により、中に入るヴァイオリンとの空間を出来るだけ狭めたかったのか、もしくは一目見ただけでヴァイオリンの輪郭が分かる様なものにしたかったのかもしれません。

開閉部分を切断した後に、厚紙と薄い革を合成したものが内部に貼り合わせてあります。厚紙と革の合成板は箱を閉じる前に内部に貼ったほうがより効率的であると思われますが、ケースの密閉性を高める為に開閉口の合成版に若干のはみ出し部分を作る必要があった事と、箱を閉じる時に釘がはみ出てしまうと内部のヴァイオリンを傷つけてしまう恐れがある為、箱にした後で、はみ出た釘を直してから、はみ出し部分の余白を作った合成板が貼られたと断定されています

その後ケース全体をモロッコ産の革で包み、その上から直径10㎜の真鍮製丸頭釘が25㎜間隔で打ち付けてあります。これらの特徴も奇美(チーメイ)博物館のヴァイオリンケースと同じです。施錠する部分は当時金具を付けた後に上から革が貼られた様ですが、片方の部分(本体部分)は後に何らかの故障のため修理された跡があり、金具部分を革が覆っていないのが見て取れます。

1700年以前までこのデザインが採用されていた様ですが、1700年以降もしくは1600年代末からホルスタータイプのケースの問題点を解決すべく、現代我々がよく見る上蓋が開閉できるヴァイオリンケースにデザインが変更されました。グレン・ウッド氏は現代主流のヴァイオリンケースの仕組みも、ストラディヴァリ本人による発明であると主張しています。

最近になり、長年ヴァイオリン博物館に所蔵されているストラディヴァリ工房の厚紙に描かれたヴァイオリンともヴィオラとも言えない楽器のデザインと考えられていたものが、グレン・ウッド氏が所有するコレクションの1つであるストラディヴァリ工房の上蓋開閉タイプの2挺用ヴァイオリンケースの内部デザインと完全に一致することが確認されました。現代ではヴァイオリンケースというと1挺用が標準ですが、ストラディヴァリ工房では上蓋開閉タイプに関しては2挺用も多く製作されていた様です。

このヴァイオリンケースでは弓を収納するスペースだけでなく、松脂や替えの弦などを入れられるスペースも設けられ、更に楽器の出し入れもより簡単にできる様に改善されました。

しかしながら当時、ホルスタータイプのヴァイオリンケースは音楽家の楽器の運搬の目的でよく使われていました。上蓋開閉タイプのケースは重く、ストラディヴァリなどの楽器を所有する貴族が屋敷やお城で楽器の保管をする為に使われていた様で、現代の様な運搬に最も適したヴァイオリンケースではありませんでした。それが試行錯誤を重ねてより軽量化され、素材も変えられ、本格的な運搬用として徐々に姿を変えていきました。このように楽器ケースも楽器と同じようにその時代に適合した姿へと変化を続けています。

このヴァイオリンケース”ミラン”を見ると、ストラディヴァリ工房ではヴァイオリンケースの細部にまでこだわり、まるで1つの作品の様に製作がなされていた事がよく分かります。当時どの様に工房で仕事がされていたのか、そして古い楽器を見る時も、その楽器がどの様な歴史的な環境・要因で摩耗やキズができたのか、と想像を膨らませる事のできる興味深いものだと思いました。