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ローマの「ピザ」

第303回 栗林 守夫 (2024.10.20)

私が「ピザパイ」なる食べ物を知ったのは高校生の頃だったと思う。
溶けたチーズの乗ったお好み焼きのような食べ物など、食べる気がしなかった。その頃まで、日本人のチーズの消費量は極めて少なかった。
今でも販売されている、雪印の6PチーズとQBBチーズくらいしか一般には見ることがなかった。

それでも、「ピザパイ」を提供する店は増えてきて、勇気を出して初めてピザを食べたのは20歳を過ぎていたと思う。それは今から思えば小さなものだったが、脂っこくて、しつこくて、全部食べることが出来なかった。若者の間ではピザを食べることがブームになっていたので、次に友人と一緒に食べたときは完食することが出来た。

私が初めてイタリアに行ったのは1977年のことだった。初めての海外旅行と言うこともあり、添乗員、ガイド付き、食事付きのパックツアーだった。全行程の食事の予定表の中には日本食はあったが、ピザは入っていなかった。たまたまローマで半日自由時間があったので、本場のピザを食べようと思った。イタリア人ガイドに、「ピザを食べに行きたいので店を教えてほしい。」と言ったところ、驚きの返答が返ってきた。「ローマにはピザを食べさせる店はない。」と言うのである。

戦後、日本には主にアメリカ経由でピザが入ってきたようである。
イタリア経由ならピッツアと言ったはずだ。南部出身のイタリア人がアメリカに移住して、ピザのチェーン店を全国展開して成功し、それが日本に入って来たらしい。1977年には日本全国でピザが食べられていたが、私はそれがアメリカから来た食べ物とは知らず、スパゲッティ、マカロニと同じようにイタリアの食べ物と言う認識だった。

ピッツアの発祥地はナポリということで、南イタリアではよく食べていたようだが、それ以外のイタリアでは食べていなかったのだ。
私は、どこからが南イタリアなのか正確な境界は知らないが、イタリアの南北格差問題は古くから日本にも伝わっていた位だから、多数の南の人が北へ出稼ぎに行き、中にはその地で同郷者向けにピッツアを提供する店を経営する人がいたとしても不思議ではない。恐らくその一つであろう、ローマでもピッツアを提供する食堂をガイドが探してくれた。その時食べたピッツアの味は覚えていない。日本で食べるものとあまり違いがなかったと思う。

イタリア統一は明治維新の頃であるから、イタリアはいまだに日本のように均質ではないことが、広がりを遅らせた原因かも知れない。
トリノ近郊に住む友人エルマンノは若い頃、「ピッツアなんて人間の食べるものじゃない。」と言っていたそうだ。複数の高齢のイタリア人から、「ナポリなんて行かなくていい。」と言う発言を聞いたこともある。この蔑視感情が、イタリアでのピッツアの広がりを阻害していたと思う。

そのエルマンノも、6年前に会った時はおとなしくピッツアを食べていた。今ではイタリア全土でピッツアを食べることが出来るし、北の人も当たり前のようにピッツアを食べているし、外国人観光客も本場のピッツアを食べることを楽しみに来ているはずだ。しかし、クレモナの伝統料理にこだわり、ピッツアがメニューにないリストランテ・チェントラーレが繁盛していないのは残念である。