1. ホーム
  2.  > 連載コラム
  3.  > 第297回 清水 陽太 (2024.07.20)

さぁ、次の理想へ! 新しい気づきと共に…

第297回 清水 陽太 (2024.07.20)

楽器製作者の歩みに「踊り場」があるとすれば、それは困難や試練・挑戦を乗り越え、次の一歩を踏み出すための準備の時かもしれない。これまで私が経験した「踊り場」を振り返ってみると、いずれも次の製作の転機となっていることに、私は最近気づいた。

製作を始めた頃、ストラディヴァリへの漠然とした憧れのようなものから始めた歩みの中に、静かにもう一つのそれとしてパガニーニの、「カンノーネ」と呼ばれるグァルネリ・デル・ジェズのヴァイオリンの存在もあった。しかしそれは無意識のうちに封印していたこと。
製作学校時代、修業させて頂いた工房、そして自宅での夜の作業の中でも、私はずっとストラディヴァリ・モデルを実践してきた。その路線から完成した楽器は、コンクールでの入賞やヨーロッパのオーケストラで使用され、私にとって精神的な支えと大きな励みとなってきた。

先輩のご縁でイタリア・ジェノヴァの工房で働くようになった時、師匠は「ヨータにはストラドが合っている!」と、熱心に指導して下さった。といっても、工房の仕事は修理修復のアシスタントだったので、時間外に私の新作と向き合ってくれたのだ。
帰国後、再会した師匠に新作を見せると、「ヨータ。デル・ジェズ、カンノーネは作らないのか?」と笑顔でおっしゃる。
それは師匠の代名詞ともいえるモデル。ここで私の封印は、15年の時を経て解け始め、私は「カンノーネ」と向き合うことになった。とはいえ、このモデルはアプローチがいろいろ異なるうえ、一見粗雑に見える300年前の線の動きも洗練された下地あっての姿なのだ。
私は、ジェノヴァにあるカンノーネの展示室と師匠の工房を再訪し、カンノーネ製作の「肝心なところ」を学んだ。
師匠と次に再会した折、彼は私の「カンノーネ第1号」をとても喜んでくれた。もっと色んなことを師匠に訊いておきたい…この私の気持ちは変わらない。

もうひとつの変わらない気持ちは、どうしても追いかけたいスポットがストラドに在ることだ。それは、生音だけが保持しているもので、実体験したことのある演奏の録音や映像でも不十分なスポットエリアなのだ。
ゆえに、単体でストラドの音が聴ける機会にはできるだけ出かけて行くのだが、それは私が追っている事象が楽器個体で起こるものなのか、あるいは演奏者に帰するものなのか…多くの機会から検証をしたいと私が感じているからだと思う。

このようなことを考えていたある日、思いがけない案件がやってきた。それは装飾チェロの相談だった。
コンセプトは、「〈ヴェネツィア〉をテーマにしたバロック・チェロ」とのこと。
この夢と典雅に満ちたコンセプトを実現化してゆく中で、私は「モダン楽器からの持ち替えを簡便にしつつ、ガット弦で鳴らすことを想定した〈新しいバロックスタイル〉」を提案し、依頼者と意思統一ができた。

さて、製作開始だ。モデルとしたサント・セラフィンのチェロは、有翼獅子サン・マルコの頭と羽をヘッドにあしらい、横板にはヴェネツィア共和国の旗からモチーフがアレンジされて彫り込まれている。その旗は片端が6本のフリンジに分かれ、ヴェネツィアの6つの地区が表されている。横板も6枚なので構成の収まりと合致した。
ちなみに、私はライオンヘッドを彫るのは初めてのことだった。また楽器全体の重量についても、薄くしないで出来るだけ軽量にする工夫が必要だった。さらにエンドピンとエンドボタンの交換も速やかに行えるよう考案した。実用性と見た目の両立を模索する作業は、とても楽しいひと時だった。
このように、デザインを起こし新しいコンセプトの楽器製作に挑むことは、様々な分野の学習や調査を必要としたが、無事完成へと結びついた。「未経験」と「開拓」という複眼的チャレンジは、私にとって冒険そのものだった。

本稿の冒頭に記した「ストラディヴァリへの憧れ」は、「クレモネーゼ・モデル」の製作として私に次の冒険を与えてくれた。
偶然にも2022年の展示会のテーマが「クレモネーゼ」となったので、私は久しぶりに「クレモネーゼ」に思考を巻き戻した。「オリジナルに近づけたアンティーク仕上げ」を目標とした。
アンティーク仕上げで作ることは初めてではない。2000年代初めのクレモナには、アンティーク仕上げのブームがあり、楽器に傷を施したり、ニスの摩耗を再現したものが流行り始めていた。私が通っていた工房でも師匠が試行していたのを見て、倣い作ったこともあった。ジェノヴァの工房で働いていた頃にもアンティーク仕上げをやっている私に、師匠は「これを手本にしろ」と1800年代のアンティーク仕上げの楽器を取り出してきてくれた。どこまでが「最初に作られた傷」なのか、私には容易に判別はできなかったが…
私は頻繁にアンティーク仕上げを行ってきたわけではないのだが、年々周囲のレベルが上昇してきていることはSNSなどで目にしていたので、私はできるだけオリジナルに寄せて仕上げることにした。
とはいっても、私が作った楽器はいわゆる「コピー」の域とは異なり、隆起や渦巻の形状などに私自身の色が濃く反映されている。さらに、私が「追いかけている」…そのためのアイデアも混入している。
私が客観的にその楽器の音を聴いたのは、展示会の前日だった。蓄積されたアイデアが奏効し、同じ方向性の音があると私は確信に至った。一つの到達点にたどり着けた達成感と安堵、アイデアが間違っていなかった喜びを味わいつつ、耳に届く鮮明な音は私の視界を滲ませていた。

このクレモネーゼ体験のあと、私は展示会や修理の仕事に追われ、新作に取り掛かれなかった。しかし、脳裏は次の楽器のコンセプトを探し始めていた。
冒頭のポイントとなる楽器も実はモデルがクレモネーゼだったことは偶然だが、このオーナー様との再会でヒントを頂き、調べていく中で「小振りのストラド」「モダン仕様にガット弦」「ベートーベンのロマンス」「ダイアモンドの輝きを持つ音色」…といったキーワードを私は握りしめていた。
その構想が固まり材料選びに入りかけていた時、私の息が止まりそうな言葉が届いた。

「シミズさん、このストラドをモデルにした新作を作りませんか!?」
私の目は見開き、しばし口は開けなかった。

どのように返答したかは私の記憶から飛んでしまったが、その瞬間から製作に取り掛かるための準備が脳裏を駆け巡りだした。その時渦巻いたさまざまな感情を言葉に起こすことはできない。

そのストラディヴァリのヴァイオリンは、1998年、私が19歳の時、初めてストラディヴァリの生演奏を聴いた楽器で、まだモデルとして製作されていないストラドのひとつだった。
私は直ちに準備にかかった。楽器の測定や撮影などに必要な道具を揃え、楽器と過ごす時間を数日間設け、データを作成した。そして材料探しなどもしながら約半年をかけ、詳細までは再現を施さない「モデル楽器」をまず製作した。
先般開催された2024年の展示会の直前に、オリジナルを知る複数の演奏者に試奏してもらった。初めて客観的にその音を聴く私の緊張はたかまった。
出来上がって間もない楽器らしい音の硬さはあるものの、「知っている音がここにある」という意味の言葉を受け、音の方向性に近似値が得られていることがわかった。その奥行きを尋ねてみると、「300年余を経過したオリジナルとこの楽器の未来の音には、一つの予想線上が感じられる」とのことだった。

この経緯を経て、今年の展示会に出品したヴァイオリンはこの「モデル」として製作したものだった。気に入って試奏されていた方々ともお話しさせていただくことができた。とりわけ2日目にチェロコーナーのほうでアテンドしていた私を探して来てくださったお客様が、「試奏しましたが、とても気持ちよかった」と、穏やかな表情で感想を伝えに来てくださり、ベストな感想が頂戴できたと印象に残りました。

この「気持ちいい」という感覚は、「音を出す」という点で全ての楽器にとって大切なことだと思う。身体の中にある音のイメージが、楽器を通して自然に発出される時に感じられる感覚…そんな感想を頂けてとても幸せだった。

人間の声帯を通して発する「声」とは異なった「声」が表現できるような楽器…を丁寧に作り続けたいと思う。一つの楽器が出来上がると、そこには毎回新しい気づきがある。それは意図したものの確認でもあり、また偶然の産物もある。
それらを丁寧かつ冷静に、慎重にふりかえりつつ、「踊り場」で立ち止まることができたなら……
さぁ、次の理想をめざそう!

 

1963-2003 アントニオ・ストラディヴァリ展 
40周年展示会を訪れた、会場のボッロメーオ宮があるベッラ島にて。