此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
私の人生は会社勤めの転勤族でもないのによく引っ越しをします。
最初のアパートは5畳位の一部屋で仕事机とベッドとキッチンがあ
このまま話を続けると長くなりすぎるので、帰国後の話をします。
日本に帰ってからは工房(仕事場)だけで7回の引っ越しをしまし
亀岡では三味線や琴の修理依頼はありましたが、バイオリン人口が
3回目の工房引っ越しはマンションの窓から見えていた向かいのビ
上の写真はバイオリン製作学校の卒業式の写真です。卒業試験の時
4回目の引っ越しは製作学校を閉校することを決め、大きな場所は
この頃から関西弦楽器製作者協会の前身である卒業生のグループ「ピアチ
5回目の引っ越しは枚方市津田の古民家になります。私は59歳(
しかしこの場所は楽器製作には適していましたが、楽器販売には人口が少なすぎて、またお客さんが足を運ぶには不便な場所でした。そして高槻で多くのお客さんが来たのは私自身が有能な楽器職人だと思っていたのが、実は場所が良いから人が来たのだとわかりました。
そして人口の多い大阪市内京橋に2号店を出しました。
すると今度は日本で初の新型コロナウイルスのクラスターが工房近
2020年9月に大阪市中央区の肥後橋駅近くに高麗橋ショールー
現在、午前中は枚方の工房で仕事をして午後は高麗橋がショールー
大阪市内の交通の便の良いところなのでぜひお立ち寄りください。
この前、you-tubeを見ていたらアントニオ猪木が引退式の
此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
フェデリコ・フェリーニの「道」は気づくのが遅すぎた人生でした