半分以上が過ぎました
皆さんこんにちは、早いもので1月の下旬になってしまいました。50歳を過ぎると時間の加速に拍車が掛かった感じがします。それで少しでも遅らすために、弦楽器職人の道に入った頃を思い出してみます。
器のコレクションA
私は、高校を卒業後、特に就職を意識することもなく、色々なアルバイトをしていました。飛行場、民宿、瀬戸物工場、その他です。当時は、中村雅俊の「俺たちの旅」が、放送された後であり、進学、就職と云うコースを外れても良いのではないかと云う生き方が、表に出てきた時代だと思います(勿論それまでも、そう云う生き方は有ったはずですが、堂々とはしにくい空気が在ったと思われます)。そのような生き方をする人を、モラトリアム人間とか、フリーター、素浪人と呼ばれ、一つの形態を作っていました。一部にプーターと云う呼び方も在りましたが、私たちの美学の外のものでした。
そんなアルバイト生活を2年程過ごしたある日、NHKテレビで、「川の流れはバイオリンの音」と云うドラマを観ました。栄子という女性が、バイオリンのケースに、ピアノ調律の道具を入れて、ヨーロッパを旅する物語です。色々な職業の人と知り会い、ポー川周辺ではバイオリン職人にも出会い、ポー川の川面にできる渦からネックの渦巻きが出来たのかも?と云うシーンもありました。しかし、このドラマを観て、バイオリンではなく、ピアノ調律と云う、音楽に係わる仕事が在ることを知り、それまでは、就職を意識していなかったのですが、その日、初めて就職情報誌を買い、その中に、楽器輸入商 丸一商店が、載っていたのです。
器のコレクションB
そこには、バイオリンの渦巻きが、大きく映っていましたが、下に小さくピアノと云う文字を見付け、調律師になれると思い、入社しました。しかし、実際は、調律師ではなく、バイオリン職人だったのですが、何の疑問も抵抗もなく受け入れ、良い先生の指導を受け、沢山の楽器を修理させていただき、今の自分が在ると感謝しています。そしてその後独立し、工房を営んでいます。
オーナー の戸村さん(中央)とスタッフの方々
工房には、楽器や附属品が、多く在るものですが、うちは額や器のほうが、充実しています。器は、近所のギャラリーアートボックスさんで揃えていたのですが、この1月12日で閉廊されました。オーナーの戸村さんは「24年もやったし、60も半ばになったから、そろそろ休んでも良いでしょう。」とおっしゃっていました。長い間、お世話になり、ありがとうございました。
献血で貰ったミニカー
話は変わりますが、去年20年ぶりぐらいに400cc献血をしました。が、少ししんどくなったので、伝えると、血圧が下がっているとの事で、何と点滴されてしまいました。こんな事あるんですね。まあ、輸血では無くて良かったですが・・・。
長々と書きましたが、お付き合いありがとうございました。では、展示会で、お会いしましょう。
次回は2月5日更新予定です。