丸太を買った話
1985年にチェロを作り始めたときは、丸一商店に依頼してヘフナーの木材を輸入していました。合理的に考えて、顔の見えない遠い日本人に良い木を送ってくれることを期待するのは無理なことで、近場のドイツ人が良品をとった残り物が来るのだろうと想像していました。そこで、表板材・裏板材は無理としても、せめてバスバーやブロック材なら、理想的な木目のものを日本の木材で調達できるのではないかと考えました。
その頃、「手作り木工辞典」という雑誌があって、毎号各地の材木屋が紹介されていました。その中に塩尻の南部木材がありました。私は長野県大町市生まれなので、毎夏お盆に墓参りに行きますから、ついでに寄ってみようと思いました。
南部木材は塩尻の丘陵地帯にありました。大きな輸入原木がたくさん積み上げてあって、他には小さな管理小屋があるだけでした。私の想像していた材木屋は、大きな板や角材がたくさんあって、端材が転がっているというものでした。私はその端材を買おうと思っていましたから、期待は完全に裏切られました。エゾ松やカエデの原木も無ければ、製材も端材もありません。
ところがこの南部さんという人は、楽器用材についてとても詳しくて話が面白いのです。北海道出身ということで、ヤマハがエゾ松の生えている山を一山単位で買っていたとか、楽器向きのカエデは日本で言えばイタヤカエデであり、イタヤカエデの「イタヤ」は、「板屋根」から来たのではなく、「板矢」だと言うのです。この「板矢」というのは、ノコギリが日本に入ってくる以前に、木を割って板を作っていた時にクサビとして木に打ち込んでいたものだということでした。また、チェロの表板材・裏板材は、幅の広いクサビ状になっていますが、この様な木取りのことを「みかん挽き」というのだと教えてくれました。丸太をみかんの房のようにカットするからです。
私は、うまい話には絶対乗らないのですが、面白い話には弱くて、南部さんの話に乗せられて平常心を失い、エゾ松を一本注文してしまいました。手持ちの表板材の寸法から算出して、小さい方の木口(こぐち)の直径が70㎝のエゾ松ならチェロ用材が取れると分かりました。
すると南部さんが、「ところで、白太(しらた)はどうされますか?」と聞いてきました。この「白太」という言葉、どこかで聞いたことがあるなと思いました。実は私の祖父は二人とも、木曽の営林署に勤めていました。木曽福島で娘時代を過ごした母は、家の中で得意げに木の知識をひけらかしていました。そのなかで、白太のことを何か良くない感じで話していたという記憶がありました。
生えている木を切断して丸太を一本取るとします。上の断端が、小さい方の木口になり、下の根に近い方の断端が大きい方の木口になります。木口の断面を見ると、杉の場合は分かり易いのですが、中央部分が茶色になっていて、そこを「赤身」もしくは「心材」と呼びます。周辺の色の薄い部分を「白太」もしくは「辺材」と呼びます。心材と辺材の面積の比率は木の種類によって様々ですし、心材の色も様々です。チェロの表板に使われるトウヒ属の場合は、心材に着色が少ないので、心材と辺材の違いは杉のように明瞭ではありません。心材は死んだ細胞で、辺材は生きた細胞で出来ています。心材は樹脂が多く、水分が少なく、強度、耐久性に優れています。
このような説明を南部さんから聞いて、私は白太を使わなくてもいいように、さらに10㎝太い、直径80㎝のエゾ松を注文しました。
神戸の自宅に帰ってから伯母に電話して、「白太は良くないそうですね。」と言ったところ、そんなことも知らないのかと馬鹿にしたように、「当り前じゃないの!」と言われてしまいました。これにはエピソードがあって、伯母の嫁入り道具にタライを注文したところ、出来てきたタライに白太が使ってあるのを見た祖父が怒って作り直させたということでした。
その年、1991年10月に南部木材から電話が入りました。「良い木が見つかりました。」というものでした。これはえらいことになったと思いました。勢いでエゾ松を注文してしまったものの、私はそのことを忘れて毎日忙しく暮らしていましたから、自分の手に余るような巨大な丸太を所有するという現実を突きつけられ戸惑いました。しかし、今更断るわけにもいきません。現時点では北海道の山に生えていて、木が休眠に入る11月に伐採して、あくる年の3月に雪の上を滑らせて山から降ろすと言うことでした。
1992年3月初め、入荷の連絡が入りました。製材するため松本の製材所に運び込まれたエゾ松は、細い方の木口80㎝、太い方は1m以上あります。長さ4m80㎝、体積2.56㎥、樹齢約250年、巨大な丸太です。すでに皮はむいてあります。この4.8mの間に、節はありません。生えているとき、この部分に枝がなかったのです。丸太は伐採直後に断端に割れ止め(乾燥止め)の合成樹脂が塗ってあり、雪の中に3月まで置いてあったのですから、木の中の水分はほぼ伐採直後のままの状態です。水分が減って木が収縮すると割れるわけですから、この処置は重要です。
まず、半分の長さに切断してから製材機に乗せました。そして両端の年輪の中心を結ぶ線で丸太を長軸方向に半分に切りました。すると切ったとたん、断面の白太の部分から水が湧き出してきました。それを表板用材の厚さに「みかん挽き」にしたり、バスバー用、ブロック用に製材してゆきました。
次の日、製材の済んだエゾ松を積んだトラックが、大町の実家の庭に着きました。南部さんと二人でトラックから木を下ろし、新たに出来た木口に、割れ止めの乾燥防止剤を塗ってゆきました。それを桟(さん)積みしてゆきます。桟積みとは、乾燥させる木と木の間に細い木片を挟んで適度な空間を作り、乾燥速度を適切にコントロールする方法です。急速で不均等な乾燥は割れの原因になります。その場所の湿度、風量により桟の厚みを調節するのが理想とのことでした。最後に上にトタンを乗せ、周囲を防虫ネットで取り囲みました。
この屋外での初期乾燥は梅雨前に終了し、不用な部分をカットしてから屋内で保管するのが理想だそうです。しかし私はそう頻繁に大町まで行くわけにいきませんから、その作業は8月のお盆まで出来ませんでした。そして、85㎝の長さにカットしたエゾ松を蔵の2階に積み上げました。
それ以来、私はこのエゾ松でチェロを作っています。カエデに関しては、イタリアの楽器用材木屋で必要な分を購入しています。基本的に、丸太を購入することはリスクの高い行為であり、日本のカエデが楽器用材として適していると言うことに確信が持てない上、色々な杢のカエデを使ってみたいという気持ちがあるからです。
ところで、裏板・横板・ネックで使われるカエデは、「白太」の部分を使っているのです。カエデの心材(赤身)は小さく、大部分が白太です。もし、カエデの心材でチェロを作ったとしたら濃い茶色になりますし、現実にそれだけの幅の木は存在しないと思います。「心材・辺材」、「赤身・白太」の優劣ではなく、カエデの白太の部分が最も楽器に適しているから長年使われてきた、と言うだけのことだと思います。