やり直し
2003年に私の2本目のチェロが出来ました。その年の春、音大の1年生に入学した東京の女学生さんにこのチェロを買って頂きました。今年6月頃その女性から電話がかかって来ました。駒の下にクラックが出来たので心配でならないと言うのです。どうもこの楽器を持って都内の楽器屋を廻っていろいろ相談をされたようですがその彼女が言うには、修理したとしても楽器の価値は低くなるので表板を新しく作り直して欲しい、と云うのです。
お話を伺って正直なところ仰天しました。実際にクラックの状態は見てみないとわからなかったのですが外見的に大きな損傷がないのならば私の多くの楽器修理の経験から申せば、ワレの接着を施し内側からパッチで補強すれば問題ない、というのが私の意見です。表板をそっくり替えてしまっては全く別の楽器になってしまいますし、それまでに馴染んで育んできた楽器の響きというものがなくなってしまいます。とは云っても お客さまからしてみれば新作のつもりで買ったのに早や修理の手を入れるなんて納得できないというのが、ご意見で表板だけ新しく作り直してほしい、と強く主張されました。
いかにもこのチェロは私が作ったものですが、販売後ホールで演奏を聴く機会がありその時の感想としてはとてもよく鳴っていたように記憶しています。ワレが生じてしまった原因は私が材料の特性を見誤って表板の厚みの加減が良くなかったか、潜在的に隠れていた材の弱いポイントだったのか、あるいはお客様の気付かなかった不注意だったのか、私はワレが起って実際に立ち会った訳ではないのでどこに原因があったのかは分かりません。起ってしまった以上はそれに対して最善の対応をするしかない、というのが楽器の製作や修理に携わる者の意見です。
それにしても最初にお話を聞いて感じたのは、彼女はこのような状態になってしまった私の作ったチェロには愛着を感じていないようで、修理した楽器ではなくキズの無いものでなくてはならないというようでした。楽器に対しての考え方にはいろいろありますのでそれも一つの考え方ではありますが、私の意見としては楽器がキズや修理の痕を残しながら演奏者と経験を積み重ねてゆくというのも良い楽器を作って過程であることを演奏家の方にも理解して頂きたく思います。修理を一つもしていないストラディバリなんて存在し得ない事実を考えてみてください。
最終的に彼女とこのチェロの対応について話し合いを進めましたが、結局今回は彼女意向を尊重し表板を取り替えるという事で対応することにしました。とは言ってもこの作業は演奏者の方が思っているほど簡単なものではありません。表板を新しく製作する事はともかく一番の問題はニスです。表板以外のニスは新作とはいえ約10年程エイジングされているので新しいニスとの色合いをマッチさせるのは至難。なるべく調和がとれるようやってみるつもりですが果たしてうまく行くかどうかはどんな修理の名人にも難しい課題です。
ようやくここまでこぎつけました
駒の右足下に生じたクラックですが写真ではほとんど見えない?
次回は9月20日更新予定です。