思いで
少し昔の話
住んでいた町の風景 この近くに工房がありました
今から20数年前私は、旧西ドイツ南部バイエルン州の小さな町の弦楽器工房で働いていました。
シトロエンの小さな車2CVという、日本だとチャールストン、2馬力、ドイツではエンテ(あひる)と愛称で呼ばれる車を移動する足代わりに使っていました。
ある日いつものように愛車を路上駐車して(ちゃんと町で許可証を取り所定場所に止めていました)家に帰って翌日、日曜だったので少し遠出でもしようと車の所に行くと、車が無い。何処を探しても見あたらない。頭の中は?マークでいっぱい、、、。で仕方なく警察へ行き受け付けの熊みたいな大男の警察官に事情を説明するのですが、なかなか通じない。今でも外国語は苦手ですがその当時も同じ、身振り手振りで何とか解ってもらえて車種やナンバーなどを言って盗難届けを書きかけた時、「巡回中のパトカーから発見の連絡が入った。」と言われ、一安心。取りに行こうと場所を聞くと、パトカーが直ぐ帰ってくるから待っていなさいとのこと。
ドイツのパトカーBMWでした
五分ほどでパトカーは帰って来て、送って行くから乗りなさいと言われ、生まれて初めてパトカーに、それもドイツで、乗せていただきました。直ぐに車の所に付いたのですが お巡りさんの説明が良く解らない。「この車は盗まれたのではない、あなたが止めた場所から此処に移動しただけだ。多分酔っぱらいがいたずらに乗ったのだろう。」とのこと、「エッエッそれで終わり?!!」まあ良いかとドア開けると、エンジンをかけるキィーの所が壊され線が剥きだし、どうしようと思案していると、何とお巡りさんが「この線とこの線をつなぎそしてこの線をつなぐとエンジンが掛かるからそしたら直ぐにこの線をはずせ! エンジンを切るときは最初の線もはずせ」と自動車泥棒のテクニックのような説明を受け、何とも感心しながら翌日修理工場に持っていき直してもらいました。
愛車 エンテ スイスにて
この愛車のエンテは排気量600CC空冷2気筒の非力な車でしたが愛好家が沢山いてエンテ同士が道ですれ違うとき、お互いフロントガラスに手を当てて挨拶するのが慣わしでした。
この車でドイツの国内はもちろんオーストリアを越えアルプスの2000メートル級の峠を幾度と無く越えて私をベニス、クレモナ、ミラノ、ボローニャ、などに何度も連れて行ってくれたのです。それからスイスのマッターホルンを見に行った時も一緒でした。。
色々思い出深い車でしたが、中古で古かったのと、ドイツの冬は、雪で凍った路面に滑り止めの為に砂と塩をまくので床に大きな穴が空いてしまい、日本に帰る少し前に泣く泣く廃車にしたのです。
沢山の思い出をありがとうエンテ。
若い頃の私です。
次回は4月20日更新予定です。